施主の歴史

googleで"施主の歴史"を検索するもヒットなし。
建築史を施主の側から見た歴史の本を読んでみたい。最近、歴史ものを読むときは施主の視点を探すようにしているがなかなかない。
そもそも、「施主」というのはいつごろ生まれたんだろうか。などと思いつつ。
でも、そういう研究はすこしずつ増えているんじゃないかな、と思わせてくれる本があった。

[book]中世の身体
中世の身体 (角川叢書)
身体の観点から中世の資料を読み直すという本。ってどういうことなのか、この本を読んでも正直よくわからないのだが。それはともかく、身体の延長ということで住居、村、町といった話題が豊富で面白かった。

吉田兼好
家をたてるときは夏を旨とすべし、で有名な人だが、徒然草には住居をめぐる考察を多く残している。
主のいない家にはおばけが住み着くとか。
他人の家の庭をつい見とれるとか。
兼好の家に訪れた客人から庭が無駄に広いと呆れられる話とか。

鴨長明
「世の人のすみかを作るならひ、必ずしも身の為にせず。
われ今、身の為にむすへり、人の為に作らず」

まあ、この人たちは世捨て人の系譜だから施主といっても特殊な部類か。(じゃあ、普通の施主って?というテーマが生ずる。)

焼け跡の土倉
春日権現験記絵という絵巻。木造の家が焼けてしまい、土倉だけが焼け残っている。その土倉を起点にして、町の再建が始まっている様子が描かれている。
建物をたてる契機にもいろいろあるだろう。新築、再建、改築、増築。
それらをしているところには施主がいるはずなのだが。京の大火の跡に町を再建するといったときに施主になったのは誰?
土倉を起点にということは、土倉を営んでいた金貸しが主導していたということかな。

勧進による造営
寺などが政治権力者による造営から勧進による造営にかわっていったのも中世の特色だという。
この場合、僧や寺がデベロッパーの役割をはたしたということか。
僧がデベロッパーといえば、新田開発も請け負っていた。
その一方、中世には百姓の手による開発も出てきた。それを支えたのが(諸々の契約)文書の蓄積、地図のはじまり、町や村が持続するという意識の発生。

歴史が下るにつれ、施主の役割をはたす人が増えるのか、それとも増減をくりかえすのか、なんてのも興味あるところ。