川崎市民ミュージアムの常設展示

宿場町としての古い歴史を持つ土地で、江戸時代の宿の様子の模型があるのがうれしい。
非常に興味をひかれたのが、明治30年ごろの農家の屋根の藁の張替えの様子の復元模型。
農家のかやぶき屋根の張替えが村総出でおこなわれることはなにかで読んでいたけれど、その様子をこまかく想像したことはなかったな。
まるでお祭りのように、人があつめられたり、お祝いにモノやお金をその家にあげるものなのか。もちろんそれは集まった人への振る舞いに使われるのだろう。そしてその明細を帳面に残している。
模型には足場があった。あの足場は誰が組むのだろう。ふだんはどこにおいてあるのだろう。
そもそも屋根の張替えが必要だなと決めるのは誰なのか。
誰が音頭をとってその行事は始まるのか。
集められた人はやりかたを自然と覚えるのか。誰かの指導をうけて動くのか。
こういうことはきっと詳しく書いた本があるはずだ。探してみるべし。


後日追記
良い本があった。
茅葺きの民俗学―生活技術としての民家
これを読むと茅葺の相互扶助のありかたは地域によっても時代によってもかなり異なる。村総出でおこなう地域もあればそうでない地域もある。
お祝いにあげるというよりは一種の契約として見返りとしてあげるんだな。
明細を帳面に記すのは不正がないようにするため。
足場をつくるのは村人自身。そのための材木等は村の共有物だったり個人持ちだったり。足場丸太は農作業の稲架などと使いまわされる場合もあり、それは農家の個人所有らしい。
屋根の葺き替えを決めるのは家の人。まあ、あたりまえか。希望者は寄り合いなどで申し出るのだそうだ。
で、その寄合で村人のうち作業に出る人を決めたりする。そのうち有能な人がカシラとかヤクインとかいうものになって全権をもつのだそうだ。作業指揮だけじゃなく材料の調達や欠勤者を処罰するなど強い力をもったそうな。(このあたりのしくみも地域によりそれぞれ。)
村の人は誰でもある年になれば参加するので経験をつむうちに仕事は覚えてしまう。ただ、上手、下手というのはあって、上手な人が大事な役割を割り当てられる。上手な人は他の部落から指名されたりもするとか。それが職人のはじまりという。
で、村に貨幣経済が浸透するにつれ茅葺の職人化もすすむ。専業もいたが、多くは農閑期の出稼ぎとして働いた。
材料となるのはススキ。そのために共有地にて共同栽培される。これの手入れや刈り取りも相互扶助のうち。これが20,30年と続く。その相互扶助の成員全部の葺き変えが終わると満了する。もっとも家があるかぎりはまた次のためにあらためて相互扶助に加入するわけだ。

この本は名著だと思う。
単に日本各地の茅葺屋根のしくみを分類・記述しただけでなく、茅葺屋根のありかたが村の生活全体のありかた(その土地の気候、主要生産物はなにかなど)のなかで決定され、維持されることをよく説明している。
茅葺屋根はまるで生き物のように新陳代謝を繰り返すことで百年、二百年という長い期間維持される。その新陳代謝は村の生産システムと密接に結びついている。
この本を読むと、生きた茅葺屋根はほぼ絶滅したこと、現在民家園などに保存されている茅葺屋根は動物に例えれば剥製のようなものだということがよくわかる。
145ページ。
「村落生活においては日常のくらしも、農作業も、そして家をつくり維持することも一体のものであり、ある部分だけをとりだしてみると不合理にみえてもそれ全体として組み立てられたうえでは整合性をもつものであることを知るべきであろう。」