様式美、洗練、退屈

カセットテープ発掘シリーズはまだ細々と続いていて。
1985年のFreshWaveという番組の録音が10本ぐらいある。
昔に聞いた内容などすっかり忘れているので懐かしいといより新鮮なかんじすらある。
登場するバンドやレーベルをネットで検索すると今でも活動しているところもあればまったくヒットしないものもあり。
インディーズの曲を聞くときは集中を要求される。
なんでかというと。
はっきりいって下手だから。
うーむ。当時からなんとなくわかってはいたことだけれど、こうやって時間がたってみるとはっきりわかるな。
つまらないかというとそうでもない。でも、「ながら音楽」にはならない。下手だから、うるさいのだ。
だから、聴くときはちゃんと聴いて、この人たちはなにがしたいんだろうな、どうしてこんなことしてるんだろうな、などと考える。
聴くことに意味と価値を自分で付加してやらずにおれないのだ。
(現代美術でもそういう面があるのじゃないかと思う。)
で、そんなテープばかりあるわけじゃなく、普通のプロのテープもあるわけだ。
インディーズのテープを2本ぐらい聞いてしまった後にそれらを聞くとほっとする。洗練された技術が心地よさを提供してくれる。なんにも考えなくてよいからか。

しかし、そうはいいながら、プロの音楽ばかりではあきたらずにわざわざインディーズなど聞いていたわけだ。なんでかな。
いろいろ理由があったはずなのだ。
・プロの音楽が画一的で退屈なものになってしまっていた。
・プロの音楽は洗練されすぎていて「こころ」がないように感じていた。
・インディーズの音楽にはいろいろなアイデアが満ちていて楽しかった。
・インディーズの音楽には新しさがあるような気がしていた。新しい何かがうまれるのを目撃しているような気がしていた。
・メジャー対インディーズという構図のなかでインディーズを応援したくなった。
・当時はサブカルチャーとか、「知」とか、流行っていた。
こんなところだったかな。あまりよく覚えていないものだ。
今となっては、それぞれについて「アホか」といってやれるのだが、まあ、時代はアホをまきこみながら動いていくわけだ。