中村好文 家作りの極意

NHKテレビで。面白かった。
面白すぎるくらいに番組としてきれいにまとまっているが、それがよく似合っていて、かつ嫌味でないのがこの人のすごいところ。

もはや巨匠といってもいいくらいの人だが当然のことながら最初から巨匠なはずもなく。
若い頃は苦労してるんですなあ。細かい仕事で食いつないでいるあいだ、「依頼の手紙が舞い込んでこないかなあ」と思っていたっていうくだりがしみじみしていてよかった。そうか、インターネットなんてなかったんだ。

興味深かったのが、プレゼンの模型をケーキボックスのようなものにいれてリボンをかけてみせたり、子供をターゲットにして色つきのイラストから説明をはじめたり。テレビを意識しているのか、ふだんからそうなのか知らないが、模型も最初から凝っていて色を使ったり。
それらを意図的に作戦としておこなっていること。
あんなに売れっ子なのに、なんでそんなことするんだろう。中村好文に依頼してくるようなクライアントなら、そんなことしなくても断られないと思うのだが。
本人に聞けば「遊びごころ」とか「楽しいから」とか答えそう。

まったく頓珍漢かもしれないが、こんな理由を想像してみた。

あんなに売れっ子だから、巨匠だからこそ。売れっ子が売れっ子であるために。巨匠であるために。

たくさんの住宅をてがけているうえに、事務所で昼ご飯をなかよく食べたり、本を書いたり、テレビにでたり、その他もろもろの活動もすることを考えると住宅ひとつひとつの設計にそう多くの時間をかけてはいられないだろう。
クライアントとの打ち合わせ時間も限らなくてはならない。1発目、2発目、なるべくはやい段階でクライアントにウンといわせたい。そのために作戦をたて、クライアントを興奮させ、これがいい!と心から思わせることが決定的に大事。
クライアントをだまくらかすというのではなくて。クライアントの好みや要望を見抜き、良いプランを提示する力量があるからできることだろう。しかし、催眠術のような面があることも事実だと思った。施主のほうはただでさえ興奮してるし。中村好文からしゃれたイラストなんかもらった日には「もう、この家大好き!」なんて言っちゃうよなあ。

たぶん中村には、「クライアントにだらだらつきあってもいい家にはならない」という割り切りがあると思う。「家が主人公」というのもそういうことだろう。クライアントなんていつどうなるかわからんのだし?あくまで良い家をつくるのは自分だ、という。
そういう意味では芸術家肌の建築家。それを威圧的にやるのではなく、あくまでもソフトに、やさしげにやる芸風が人気の秘訣なのかなと。

司会者はビジネス的な切り口が欲しかったのか、そういう問題意識しかないのか、
「クライアントの好みをかなえることだけ考えるのではなく、本当に良い家をつくることが長い目で見るとクライアントのためになる」
なんていうコメントに回収しようとしていたが、中村はそれには答えることなく、ただなんとなくうなずいてみせていただけのようにみえた。
中村にいわせれば「クライアントのためなんて考えてないんだけど、そう思ってくれればもうけもの。」ってかんじじゃないのかな。

中村をけなしているわけではなく、こういう流儀の人もいて、それを好む人もいて、その間で素敵な家が実際にたくさん建っているということがおもしろいなあ、と思っているだけ。
建築家がクライアントに接する流儀はたぶん他にもいろいろあって、どれが正しいというものでもないだろうし。
クライアントと徹底的に突き詰めるのが好きという建築家とか。きっとそういう人もそれが楽しいと思ってやってるんだろう。
模型にリボンをかけるのが楽しいという人もいれば、クライアントとメールを何百通もやりとりするのが楽しいという人もいる。金銭的には前者のほうが...(以下自粛)

悪条件にこそ突破口あり

いい言葉ですのう。