安全

朝日のサイトから。

グループ送迎は当面中止 長浜の神照幼稚園
2006年02月18日23時14分

 滋賀県長浜市の市立神照幼稚園は18日、緊急の保護者会を開き、地域ごとのグループによる送迎を当分の間、中止することを決めた。市内でグループ通園をしている10園もすでに一時中止を決めている。

 保護者会は非公開で、保護者164人が出席した。保護者から個別の送迎を求める意見が多く寄せられ、「バス通園はできないのか」などという意見も出たという。会場では、泣きながら話を聞いたり肩をたたいて励まし合ったりする保護者の姿が見られたという。

 中川明園長は、保護者会後の会見で「やはり子どもの安全を考えると、個別の送り迎えが一番の方法」と話した。

 同幼稚園のグループ通園については、保護者の間で、「グループのなかのつきあいが面倒」「他人の子がいうことをきかないがしかりにくい」などという声が高まり、同幼稚園が1月中旬、保護者の無記名のアンケートをしていた。中川園長らの説明では、アンケートの結果をふまえ、グループ送迎を改善しようという趣旨だったという。

これはつらい事件だ。嫌な書き方になってしまうが。
亡くなった子の親は事件発生前、容疑者を信頼していたのだろうか。この人はちょっと、と思っていたのだろうか。
しばらくは他の親たちも疑心暗鬼にとらわれたりするだろう。他人を信頼しきることは難しい。
しかし、考えてみれば、他人の子をほんの短時間とはいえ、あずかるというのはけっこうしんどいことだ。こんな極端な事件でなくとも、たとえばひとの子供を車で送っているときに交通事故を起こしてしまったら、と思うと憂鬱だ。
グループ送迎をするということについて、親たちは日頃どんなことを話し合っていたのだろうか。
その幼稚園の周囲はそんなに治安が悪いところなのだろうか。
今の世の中、絶対安全な場所なんてないけれど、子供たちだけで通園させておくリスクとグループ送迎にかかわる諸々のリスクを比較検討して、なんてことしたとも思えない。
メディアで流される「世の中物騒になった」というイメージと不安感が先行して、「自分たちの地域に必要とされるものは何なのか」から考えるというプロセスが省略されてしまってはいないか。
(おそらく全国でそういう事態が発生している。それは、自分たちの地域とはなんなのかがわからなくなってしまっているせいでもある。)
亡くなった子の親にしてみれば、安全だというからグループ送迎に参加してたのに、と、なにかを逆恨みしたくもなるのではないだろうか。
「安全」という言葉の持つ強制力については注意を払わなければいけない。
(大きくいえば、対テロ戦争とかいうのも同じ構造の問題なんだろう。)
亡くなった子の親は、さまざまな後悔や罪悪感に苛まれていると思われる。
(こういう事件の場合は特に、犯人への憎しみだけではすまないところが被害者の心情の難しさと言われる。)
そうした感情を克服するための日頃の地域のありかたって?