シュムペータ 租税国家の危機

昨日は、結局よくわからないまま、寒くなってきたので切り上げてしまった。ほっておくのも癪なので、今日はメモをとりながらもう一度読んでみた。

1 問題
第一次世界大戦によって生じた財政上の問題は戦前の枠組み(自由競争経済)では解決できない。
我々は租税国家の機能停止という危機に直面している。
近代国家はその性質を変えるだろう。
しかし、それは戦争があったから変わるというのではない。
もともと租税国家とは不完全なものであり、いずれ崩壊せざるを得ないのであり、戦争はそれを早めただけなのである。
なぜ租税国家は消滅しなければならないのか。

2 財政社会学
予算は国家の骨格である。
財政が国家の政策の主要な動機である。
財政が現在の(本書で現在とは20世紀初頭を指している)経済形態、人間類型、産業分布をつくりだした。
財政の歴史が世界史である。

3 中世末期の料地経済の危機
封建団体の危機が近代租税国家を生んだ。
その過程を概観する
14、15世紀 国主は諸権力(貴族、僧侶、自由農民など)と本質的には同じようなもので、そのなかで1位であるという程度の差があっただけである。
しかるに、しだいに国主は全体として地方高権というひとつの特殊性を獲得する。
このころは、租税の一般的徴求権は存在しなかった。
15、16世紀の転回期において領主の多くは財政困難に陥った。その直接の原因は経営のまずさであるが、それならば「危機」といって論ずるに値しない。まずい経営者はうまい経営者にとって代わられればすむ話だから。
本質的な原因は、領主に仕える貴族の扶持と戦費の増大である。
生活が封建的組織を崩壊し、傭兵という存在を生ぜしめたことが財政を圧迫した。
領主は等族から借金をし、それが返せなくなるとこれは「共同の困難」であるとして等族に租税の負担を要求した。
等族はこれを承認し、その瞬間に国家が誕生した。

4 租税国家の本質と限界
国家の限界とは財政的な給付能力の限界である。
誰もが個人的利害のために労働し貯蓄する。国家は経済的にはそれらへの寄生者である。個人的利害の継続と調和できる程度のものしか、私経済からとりあげることはできない。
もしすべての国民が私有財産生活様式の考え方を変え、個人的利己主義ではない経済動機をもって生活するようになれば租税国家は超克されるという可能性はある。

5 それは崩壊せざるをえないか?
租税国家は多くの危機をのりこえ存続してきた。
今回の危機をイギリスもフランスもイタリアも乗り越えるだろう。オーストリアは危ない。
オーストリアについて2つの論点から論じる。
(1)戦費調達
  財貨は問題ではない。
   戦争中に消費してしまった財、労働力などはすでに調達ずみの済んでしまったこと
  問題は貨幣。
   戦争で費やしてしまった財に対する償却をしなければならない。
   それは国家が国民に対して貨幣債務を支払うことによって行われる。
   それは租税国家と個人的所有という自由経済の形態の維持によってのみおこなわれる。
  激しいインフレと財政赤字が生じる
   大戦のような浪費は租税国家という制度のせいではない。
   したがって租税国家が機能を停止してもしかたない。
   (租税ではなくインフレという形で戦費を調達するしかなかっという意味?)
   この状態において租税国家ができないこと
    1)戦後における一層の紙幣増発は論外。それは螺旋的に事態を悪化させるのみ。
    2)国債の破棄も論外。不名誉かつ無意味。

   この状態において租税国家ができること
    1)国家収入の引き上げ
      所得税でなく間接税(消費税)による
      (しかしこれはインフレの継続と貨幣秩序の放棄を要求する
    2)高率の1回限りの財産税の導入(戦時公債債務の相当部分を償却するだけの)これは貨幣価値の上昇、すなわち物価の下落(デフレ?)をもたらす。
これには、現実の政治的および財政技術上の能力を必要とする。国民が信頼を寄せるだけの輝くような意思と言葉を必要とする。
(もっとも、オーストリアにおいてこれは実現しないだろう。しかしそれはオーストリアがだめなのであって、租税国家がだめだからではないのである)
 Q それは「国家破産」を「国民破産」によっておきかえるものではないのか?
 A そうではない。財産税の対象は戦時中に低減した物的国民財産ではなく、戦時中に根拠もなく増大した貨幣価値なのである。
(2)国民経済の再建
  

一言でいうと

大変な戦争で、経済はめちゃくちゃだが、租税国家と自由経済はなくならない。なくならないどころか、それによってのみ国民経済の再建は可能である

ということらしい。